イスラム教徒の権利と義務
全能なる神の権利
神の人間に対する基本的な権利は、彼らが神に子供を帰属させ たり、あるいはいかなる共同者なども結び付けたりすることなく 、かれのみを崇拝することです。全存在の永遠の真実は「ラー・ イラーハ・イッラッラー(アッラーの他に真に崇拝すべきものは なし)」なのです。この証言の意味するものは、アッラー以外に 絶対的服従に値するいかなる神性も存在しない、ということです 。ムスリムの信仰を証言するこの言葉には、以下のような意味も 含まれてきます:
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究極的な意味において、神のみが崇拝され服従されるに値する ということ。かれを差し置いて、あるいはかれと併置して崇拝さ れるような権利を有するものはありません。それで人間の言動や 隠された意図は、全能なる神が彼らを創造した目的に沿っている べきです。人間の全行動は、全能なる神のご満悦のためだけに行 われるべきなのです。聖クルアーンにはこうあります: -そしてあなた方の主は仰った:「われに祈願せよ(つまりわ が唯一性を信じ、われにのみ祈るのだ)。そうすればわれは あなた方に応じよう。われのイバーダ(崇拝行為)において 不遜な者たちこそは、惨めな形で地獄の業火に入ることにな ろう。」, (クルアーン40:60)
- ムスリムは神自身が自らを形容した、あるいは預言者ムハンマ ドがかれを形容したところの「美名と属性」を信じなければなり ません。そしていかなる者も、神自身が自らを形容した、あるい は預言者ムハンマドがかれを形容した以外の名や属性を神に結び つけることは許されません。またこれらの美名や属性において、 不適当な解釈や意見、擬人化などを行うことも禁じられています 。至高なる神は、聖クルアーンの中で次のように述べています: -かれ(アッラー)に似たものは何一つない。にも関わらず、 かれは全てを聞き、ご覧になられるお方なのである。, (クル アーン42:11)
- ムスリムは言葉でもって信仰を証言し、心でもってそれを受け 入れ、その行為でもって自らの信仰証言の真実性を証明しなけれ ばなりません。そして神に完全に服従し、真摯に信仰するのです 。聖クルアーンにはこうあります: -そしてアッラーの他に真に崇拝すべきものがないこと(ラ ー・イラーハ・イッラッラー)を知り、あなたと男女の信仰 者たちの罪を乞うのだ。アッラーはあなた方の(現世におけ る)一挙一動も、あなた方の(来世における)行き先もご存 知なのである。, (クルアーン47:19)
- 人間は神のご意志に全てを完全に委ねなくてはなりません。聖 クルアーンにはこうあります: -そしてアッラーとその使徒が何らかの裁断を下したならば、 それが男女の信仰者にとって彼らの諸事における最良のもの とならないことはない。そしてアッラーとその使徒に逆らう 者は、明白に道を踏み誤っているのである。, (クルアーン 33:36)
- ムスリムは神とその使徒ムハンマドを純粋に愛さなければな りません。そしてこの愛は逆境にある時も、葛藤の折も、自分自 身を含めかれら以外のものに対する愛に優ってはならないのです 。至高なる神は、聖クルアーンの中で次のように述べています: -言え、「あなた方の父親や子息、兄弟姉妹や配偶者、近親や あなた方の稼いだ財産、またあなた方が不景気になることを 恐れている商売や、あなた方の意に適った住まいがアッラー とその使徒、そしてその道における奮闘よりもあなた方にと って愛すべきものであるのならば、アッラーが事を決行され るまで待つがよい。アッラーは放縦な民をお導きにはなられ ないのだ。」, (クルアーン9:24)
- またムスリムは、神がその預言者ムハンマドを通して定めた形 式と手法によってのみ、神を崇拝しなければなりません。推量に よって新たな崇拝行為を創出し、それを宗教に結びつけることは 許されていないのです。全ての崇拝行為は天啓宗教であるイスラ ームに一致していなければなりません。例えばこうした崇拝行為 の一つに「サラー(礼拝)」があります。これを行い続けること の成果として、善行が増え、悪行が減少するということがありま す。全能なる神は、聖クルアーンの中で次のように述べています : -あなたに啓示された啓典の内から朗誦し(てその内容を実践 し、)サラー(礼拝)を遵守するのだ。実にサラーは醜行と 悪事を妨げる。そしてアッラーのあなた方に対する想念は、 あなた方のかれに対する唱念よりも遥かに偉大なのだ。アッ ラーはあなた方の行うことをご存知であられる。, (クルアー ン29:45)
またザカー(義務の浄財)を窮乏や貧困の中にある者に施すこ とは、恵まれない者の試練や苦痛を減少させると共に、それを施 す者の自己浄化や吝嗇や貪欲さの排除といった効果をもたらしま す。聖クルアーンにはこうあります: -彼はその財を施し、自らを(アッラーに)清めて頂く。そし て彼には(そうすることで、)誰に対しても報われるべき恩 恵などはない。ただ至高のアッラーの御顔のみを求め(てそ うす)るだけ。やがて彼は満足するであろう。, (クルアーン 92:18-21)
またサウム(斎戒、いわゆる断食)は人の欲望に対する自己規 律と自己管理能力を高め、敬虔さや神への畏怖心、また貧者や恵 まれない境遇にある者の状態に関する意識を明瞭なものとしてく れます。全能なる神は、聖クルアーンの中で次のように述べてい ます: -信仰する者たちよ、あなた方以前の者たちにも定められたよ うに、あなた方にもサウム(斎戒、いわゆる断食)が課せら れた。(それによって)あなた方は敬虔さを獲得するであろ う。, (クルアーン2:183)
またハッジ(マッカへの大巡礼)には、以下の聖クルアーンの 節にもあるように、様々な利益があります: -(ハッジ:大巡礼は)彼らが諸々の利益を得、周知の数日間 に渡り、アッラーがお恵み下さった家畜としての生き物に( 対してそれらを犠牲として、またそれ以外の折にも)アッラ ーの御名を唱えるがためのものである。ゆえにあなた方はそ こから食べ、(それでもって)貧しく恵まれない者にも食べ させるのだ。 , (クルアーン22:28)
イスラームにおけるこれら以外の全ての崇拝行為も、人間自身 の利益に深く関わっています。これらは通常の状態において行わ れる限り、何の困難も伴いません。聖クルアーンにはこうありま す: -アッラーはあなた方に易きを求め、難きを望まれない。, (ク ルアーン2:185)
また同様の意味の言葉として、預言者ムハンマドはこう言って います: 「私があなたに命じることは、出来る範囲で行いなさい。」 ( アル=ブハーリーによる伝承:1337.)またこうも言っています: 「宗教は易しい物である…」 ( アル=ブハーリーによる伝承:39.)
尚病気などの法的に認められた困難の折には、崇拝行為は完全 に免除されるか、あるいは特別にいくらかの軽減措置が認められ ます。例えば礼拝は通常起立して行われますが、それが出来ない 状態であれば座位姿勢によって行っても良いとされます。そして もしそれさえも出来なければ、横になって、または仰向けになっ て、あるいはその状況において最も楽な状態で行っても良いとさ れるのです。また上記のいかなる姿勢も取れないのであれば、そ の時は手の仕草、あるいは目の動きだけででも礼拝を行うように します。そして礼拝の前には体を洗浄しますが、もし水がなかっ たり、あるいは水を使用出来ない正当な理由があったりしたら、 その義務はとりあえず差し控えられます。そして水を用いた洗浄 の代わりに「タヤンムム」という砂や埃などを用いた代用行為を 行い、その後は通常通りに礼拝を行うのです。また月経中、ある いは産後の出血のある女性はその出血が完全に止まるまで、礼拝 義務を差し控えられます。そしてその状態が終了しても、その期 間にやり過ごしてしまった礼拝をやり直す必要はありません。ま たザカーが要求される一定の財産を一年間通して所有していない ムスリム男女は、それを支払う義務がありません。また断食をす る力のない老齢者や病人なども、断食の義務を免除されます。但 しそのような者たちは可能なら贖罪として、断食すべき一日につ き貧者一人に食事を施す必要があります。同様に旅行者はその状 況の困難性ゆえ、断食を解いてもよいとされます。また月経や産 後の出血があった女性は出血が完全に収まるまで断食しませんが 、その状態が終わった後にやり過ごした日の分だけ断食し直しま す。またハッジはそもそも全人への義務ではなく、身体的障害が ある者や経済的に余裕がない者はハッジをする法的義務がありま せん。ハッジを志す者は彼の巡礼の旅の間、彼自身と残した家族 を十分養うだけの経済的余裕がなければならないのです。至高な る神は、聖クルアーンの中で次のように述べています: -そこには数々の明白なみしるしがある。(その内の一つが) アブラハムの立ち所(である)。そこ(マッカの聖域)に入 った者は安全なのだ。そしてそうすることが出来る人々には 、その館を訪問するアッラーへの義務がある。それを否定す る者があっても、実にアッラーは何ものをも必要とされては いないのだ。, (クルアーン3:96-97)
またイスラームにおける困難の緩和の別例として、ムスリムが 合法な食事の欠乏により瀕死の状態にあるような際には、血液や 神の御名が唱えられずに屠られた動物の肉など本来イスラーム法 で非合法とされる物でも摂取して構わない、というものがありま す。但しそのような時でも摂取するのは、命を繋ぎとめるのに必 要な量だけに留めておかなければなりません。この法規定は、次 の聖クルアーンの節で言及されています: -あなた方に禁じられたものは、(イスラーム法に則って屠殺 されなかった)死体、(流れる)血液、豚肉、アッラー以外 の名において屠られたものである。しかしやむを得ない状態 にある者は、(その摂取において)度を越さず、(それを口 にするのは、他に合法なものがない場合のみであるという) 法を超えない限りにおいて(それを口にしても)罪はない。 実にアッラーはお赦し深く、慈悲深いお方である。, ( クルア ーン2:173 )
預言者ムハンマドの権利
神は人類を正しく導くためにその使徒を遣わし、もし人類が彼 を信じて従い、彼に対する権利を全うするならば、現世における 成功と来世における報奨を与えることを約束しました。これらの 権利は前述の「ラー・イラーハ・イッラッラー(アッラーの他に 真に崇拝すべきものはなし)」という信仰証言に並列された「ム ハンマドゥン・アブドゥフ・ワ・ラスールフ(ムハンマドはその しもべであり使徒である)」という言葉の中に集約されています 。そしてこの証言は、以下のような事柄を義務付けます:
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預言者ムハンマドの命令を遵守し、神に対する不従順を回避す ることにおいて努力すること。至高なる神は、聖クルアーンの中 で次のように述べています: -…使徒が命じた物事を行い、彼の禁じた物事を避けよ。そし てアッラー(のお怒りや懲罰の原因となるような物事)に対 し、身を慎むのだ。実にアッラーは厳しく罰されるお方であ る。, (クルアーン59:7)
- 可能な限り彼のスンナ(慣習)を踏襲すること。いかなる者 も神の使徒ムハンマドのスンナを改変したり、そこに付加したり 、あるいは削除したりする権威はありません。聖クルアーンには こうあります: -言え、「あなた方がアッラーのことを愛しているのなら、私 (ムハンマド)に従うのだ。そうすればアッラーはあなた方 を愛して下さり、あなた方の罪をお赦し下さるであろう。」 アッラーはお赦し深く、慈悲深いお方である。, (クルアーン 3:31)
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ムスリムは神が使徒ムハンマドに授けた特別な位階と威信を称 えなければなりません。そしていかなる者もその品格を下げるよ うなことをしてはいけませんが、同時に過度の讃美も禁じられて います。預言者ムハンマドは自らこう言いました: 「キリスト教徒がマリヤの子(イエス)に対してしたように 、私を度を越して称えるのではない。私は一人のしもべに過 ぎないのだ。ゆえにこう私を呼ぶがよい:“アッラーのしも べ、かれの使徒”と。」 ( アル=ブハーリーによる伝承:2330.)
また彼はこうも言っています: 「人々よ!あなた方が言うべきことを言い、悪魔の誘惑に乗 るのではない。私はアッラーのしもべであり使徒である、ム ハンマドなのだ。私はあなた方が、私を全能のアッラーが私 に割り与えられた以上の地位にまで高めることを好まない 。」 アン=ナサーイーによる伝承。良好な伝承と言われています。
また使徒ムハンマドは、このようにも言ったそうです: 「私をそれに値する以上にまで称えるのではない。アッラー は私が預言者とか使徒とお呼びになる前に、私を一人のしも べとして創られたのだ。」 ( アッ=タバラーニーによる伝承。) - ムスリムは使徒ムハンマドが下したいかなる裁断にも満足し、 それを受け入れなければなりません。至高なる神は、聖クルアー ンの中で次のように述べています: -いや、あなたの主にかけて。彼らは彼らの間の諍いごとに関 してあなたにその裁決を仰ぎ、それからあなたが裁いたことに ついて自分自身の中に少しの疑念も抱かず、(それを)完全に 受け入れるまでは、(真に)信仰したことにはならないのであ る。, (クルアーン4:65)
- 神の使徒ムハンマドが普遍的メッセージを携えて、全人類に遣 わされたということを信仰すること。イスラームは使徒ムハンマ ド以前の使徒や預言者たちの宗教がそうであったように、特定の 人々に向けてのみ遣わされたわけではありません。聖クルアーン にはこうあります: -言え(ムハンマドよ)、「人々よ、実に私こそはあなた方全 てに対して(遣わされた)、天地の主権をお持ちであるアッ ラーの使徒である。全てに生を授けられ、死を授けられるか れ(アッラーのこと)以外に、真に崇拝すべきものはない。 ゆえにアッラーと、アッラーとその御言葉を信じる文盲の預 言者であるかれの使徒を信じるのだ。彼に従え。そうすれば あなた方は導かれるであろう。」, (クルアーン7:158)
- 神の使徒ムハンマドが神のメッセージを人類に伝達することに おいて、誤りを犯すことから守られていたことを信じること。ま た彼が神のメッセージに勝手に何かを付け加えたり、あるいは削 除したりすることがなかったことを信じること。聖クルアーンに はこうあります: -そして彼は私欲から(物事を)話しているわけでもない。, ( クルアーン53:3)
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預言者ムハンマドが神から人類に遣わされた最後の預言者であ り、その後にはいかなる使徒や預言者も到来しないことへの信仰 。全能なる神は、聖クルアーンの中で次のように述べています:
-ムハンマドは(彼が授かった本当の彼の子でもない)あなた 方の内の誰の父親でもない。しかしアッラーの使徒であり、 最後の預言者なのだ。,
(クルアーン33:40)
また使徒ムハンマド自身、こう言っています: 「…そして私の後に、使徒はないのだ。」 ( アル=ブハーリー:4416と、ムスリムによる伝承:2404.) - 神が人類に対して課した宗教的義務や命令は全て正しいもので あり、預言者ムハンマドが神のメッセージを完全な形で伝達した ことを信じること。また彼がイスラーム共同体に最善の忠告をし 、善を行い悪を避けるための最高の指針を残したことを信じるこ と。聖クルアーンにはこうあります: -この日、不信仰者たちはあなた方の宗教(を頓挫させること )に絶望した。ゆえに彼らのことなど畏れず、われ(アッラ ー)のことを畏れるのだ。この日われはあなた方に対し、あ なた方の宗教を完成させた。そしてあなた方への恩恵を全う し、イスラームがあなた方の宗教であることに満足した。, ( クルアーン5:3)
- イスラームにおいて定められた法は神によって承認されたもの であり、様々な種類の全ての崇拝行為はこの神聖な法に基づいて いることを信じること。また人間が独自に編み出した行動は、こ れらの神聖な法と合致しない限り受け入れられないこと。聖クル アーンにはこうあります: -そしてイスラーム以外のものを宗教として望む者は、決して それを受け入れられない。そして彼は来世においては損失者 の類いなのである。, (クルアーン3:85)
- ムスリムは預言者ムハンマドの名が言及された時、彼に対する 敬意の印として適切な挨拶をしなければなりません。この教えは 、聖クルアーンの中に見出せます: -実にアッラーとその天使たちは、預言者を祝福する。信仰者 たちよ、彼に祝福と平安を乞うのだ。, (クルアーン33:56)
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信仰者は他の何者よりも、預言者ムハンマドに対して真の愛情 を向けます。というのも彼がもたらした神の真実の宗教に関して の情報や実践こそは、唯一の救済の手段であるからです。全能な る神は、聖クルアーンの中で次のように述べています: -言え、「あなた方の父親や子息、兄弟姉妹や配偶者、近親や あなた方の稼いだ財産、またあなた方が不景気になることを 恐れている商売や、あなた方の意に適った住まいがアッラー とその使徒、そしてその道における奮闘よりもあなた方にと って愛すべきものであるのならば、アッラーが事を決行され るまで待つがよい。アッラーは放縦な民をお導きにはなられ ないのだ。」, (クルアーン9:24)
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ムスリムは人々に彼のメッセージを伝達することにおいて、英 知と忍耐をもって出来る限りの努力を払い、可能な限りの機会を 利用する必要があります。また宗教を誤って理解している者やお ろそかにしている者への啓発や、信仰心の弱い者の信仰を強化す ることにおいて奮闘しなければなりません。聖クルアーンにはこ
うあります:
-英知とよき訓戒をもって、あなたの主の道へといざなえ。そ してよき手法を用いて彼らと議論するのだ。実にあなたの主 はその道を迷い外れた者のことも、よく導かれた者のことも よくご存知である。,
(クルアーン16:125)
また使徒ムハンマドはこう言っています: 「一つきりのアーヤ(クルアーンの一節)でもよいから、私 から伝達せよ。」 ( アル=ブハーリー:3461と、アッ=ティルミズィーによる伝承:2669.)
- その他の使徒と預言者の権利
- 両親の権利
- 夫の妻に対する権利
- 妻の夫に対する権利
- 子供の権利
- 親戚の権利