イスラム教徒の権利と義務


全能なる神の権利

神の人間に対する基本的な権利は、彼らが神に子供を帰属させ たり、あるいはいかなる共同者なども結び付けたりすることなく 、かれのみを崇拝することです。全存在の永遠の真実は「ラー・ イラーハ・イッラッラー(アッラーの他に真に崇拝すべきものは なし)」なのです。この証言の意味するものは、アッラー以外に 絶対的服従に値するいかなる神性も存在しない、ということです 。ムスリムの信仰を証言するこの言葉には、以下のような意味も 含まれてきます:

  • 究極的な意味において、神のみが崇拝され服従されるに値する ということ。かれを差し置いて、あるいはかれと併置して崇拝さ れるような権利を有するものはありません。それで人間の言動や 隠された意図は、全能なる神が彼らを創造した目的に沿っている べきです。人間の全行動は、全能なる神のご満悦のためだけに行 われるべきなのです。聖クルアーンにはこうあります: -そしてあなた方の主は仰った:「われに祈願せよ(つまりわ が唯一性を信じ、われにのみ祈るのだ)。そうすればわれは あなた方に応じよう。われのイバーダ(崇拝行為)において 不遜な者たちこそは、惨めな形で地獄の業火に入ることにな ろう。」, (クルアーン40:60)
  • ムスリムは神自身が自らを形容した、あるいは預言者ムハンマ ドがかれを形容したところの「美名と属性」を信じなければなり ません。そしていかなる者も、神自身が自らを形容した、あるい は預言者ムハンマドがかれを形容した以外の名や属性を神に結び つけることは許されません。またこれらの美名や属性において、 不適当な解釈や意見、擬人化などを行うことも禁じられています 。至高なる神は、聖クルアーンの中で次のように述べています: -かれ(アッラー)に似たものは何一つない。にも関わらず、 かれは全てを聞き、ご覧になられるお方なのである。, (クル アーン42:11)
  • ムスリムは言葉でもって信仰を証言し、心でもってそれを受け 入れ、その行為でもって自らの信仰証言の真実性を証明しなけれ ばなりません。そして神に完全に服従し、真摯に信仰するのです 。聖クルアーンにはこうあります: -そしてアッラーの他に真に崇拝すべきものがないこと(ラ ー・イラーハ・イッラッラー)を知り、あなたと男女の信仰 者たちの罪を乞うのだ。アッラーはあなた方の(現世におけ る)一挙一動も、あなた方の(来世における)行き先もご存 知なのである。, (クルアーン47:19)
  • 人間は神のご意志に全てを完全に委ねなくてはなりません。聖 クルアーンにはこうあります: -そしてアッラーとその使徒が何らかの裁断を下したならば、 それが男女の信仰者にとって彼らの諸事における最良のもの とならないことはない。そしてアッラーとその使徒に逆らう 者は、明白に道を踏み誤っているのである。, (クルアーン 33:36)
  • ムスリムは神とその使徒ムハンマドを純粋に愛さなければな りません。そしてこの愛は逆境にある時も、葛藤の折も、自分自 身を含めかれら以外のものに対する愛に優ってはならないのです 。至高なる神は、聖クルアーンの中で次のように述べています: -言え、「あなた方の父親や子息、兄弟姉妹や配偶者、近親や あなた方の稼いだ財産、またあなた方が不景気になることを 恐れている商売や、あなた方の意に適った住まいがアッラー とその使徒、そしてその道における奮闘よりもあなた方にと って愛すべきものであるのならば、アッラーが事を決行され るまで待つがよい。アッラーは放縦な民をお導きにはなられ ないのだ。」, (クルアーン9:24)
  • またムスリムは、神がその預言者ムハンマドを通して定めた形 式と手法によってのみ、神を崇拝しなければなりません。推量に よって新たな崇拝行為を創出し、それを宗教に結びつけることは 許されていないのです。全ての崇拝行為は天啓宗教であるイスラ ームに一致していなければなりません。例えばこうした崇拝行為 の一つに「サラー(礼拝)」があります。これを行い続けること の成果として、善行が増え、悪行が減少するということがありま す。全能なる神は、聖クルアーンの中で次のように述べています : -あなたに啓示された啓典の内から朗誦し(てその内容を実践 し、)サラー(礼拝)を遵守するのだ。実にサラーは醜行と 悪事を妨げる。そしてアッラーのあなた方に対する想念は、 あなた方のかれに対する唱念よりも遥かに偉大なのだ。アッ ラーはあなた方の行うことをご存知であられる。, (クルアー ン29:45)

またザカー(義務の浄財)を窮乏や貧困の中にある者に施すこ とは、恵まれない者の試練や苦痛を減少させると共に、それを施 す者の自己浄化や吝嗇や貪欲さの排除といった効果をもたらしま す。聖クルアーンにはこうあります: -彼はその財を施し、自らを(アッラーに)清めて頂く。そし て彼には(そうすることで、)誰に対しても報われるべき恩 恵などはない。ただ至高のアッラーの御顔のみを求め(てそ うす)るだけ。やがて彼は満足するであろう。, (クルアーン 92:18-21)

またサウム(斎戒、いわゆる断食)は人の欲望に対する自己規 律と自己管理能力を高め、敬虔さや神への畏怖心、また貧者や恵 まれない境遇にある者の状態に関する意識を明瞭なものとしてく れます。全能なる神は、聖クルアーンの中で次のように述べてい ます: -信仰する者たちよ、あなた方以前の者たちにも定められたよ うに、あなた方にもサウム(斎戒、いわゆる断食)が課せら れた。(それによって)あなた方は敬虔さを獲得するであろ う。, (クルアーン2:183)

またハッジ(マッカへの大巡礼)には、以下の聖クルアーンの 節にもあるように、様々な利益があります: -(ハッジ:大巡礼は)彼らが諸々の利益を得、周知の数日間 に渡り、アッラーがお恵み下さった家畜としての生き物に( 対してそれらを犠牲として、またそれ以外の折にも)アッラ ーの御名を唱えるがためのものである。ゆえにあなた方はそ こから食べ、(それでもって)貧しく恵まれない者にも食べ させるのだ。 , (クルアーン22:28)

イスラームにおけるこれら以外の全ての崇拝行為も、人間自身 の利益に深く関わっています。これらは通常の状態において行わ れる限り、何の困難も伴いません。聖クルアーンにはこうありま す: -アッラーはあなた方に易きを求め、難きを望まれない。, (ク ルアーン2:185)

また同様の意味の言葉として、預言者ムハンマドはこう言って います: 「私があなたに命じることは、出来る範囲で行いなさい。」 ( アル=ブハーリーによる伝承:1337.)
またこうも言っています: 「宗教は易しい物である…」 ( アル=ブハーリーによる伝承:39.)

尚病気などの法的に認められた困難の折には、崇拝行為は完全 に免除されるか、あるいは特別にいくらかの軽減措置が認められ ます。例えば礼拝は通常起立して行われますが、それが出来ない 状態であれば座位姿勢によって行っても良いとされます。そして もしそれさえも出来なければ、横になって、または仰向けになっ て、あるいはその状況において最も楽な状態で行っても良いとさ れるのです。また上記のいかなる姿勢も取れないのであれば、そ の時は手の仕草、あるいは目の動きだけででも礼拝を行うように します。そして礼拝の前には体を洗浄しますが、もし水がなかっ たり、あるいは水を使用出来ない正当な理由があったりしたら、 その義務はとりあえず差し控えられます。そして水を用いた洗浄 の代わりに「タヤンムム」という砂や埃などを用いた代用行為を 行い、その後は通常通りに礼拝を行うのです。また月経中、ある いは産後の出血のある女性はその出血が完全に止まるまで、礼拝 義務を差し控えられます。そしてその状態が終了しても、その期 間にやり過ごしてしまった礼拝をやり直す必要はありません。ま たザカーが要求される一定の財産を一年間通して所有していない ムスリム男女は、それを支払う義務がありません。また断食をす る力のない老齢者や病人なども、断食の義務を免除されます。但 しそのような者たちは可能なら贖罪として、断食すべき一日につ き貧者一人に食事を施す必要があります。同様に旅行者はその状 況の困難性ゆえ、断食を解いてもよいとされます。また月経や産 後の出血があった女性は出血が完全に収まるまで断食しませんが 、その状態が終わった後にやり過ごした日の分だけ断食し直しま す。またハッジはそもそも全人への義務ではなく、身体的障害が ある者や経済的に余裕がない者はハッジをする法的義務がありま せん。ハッジを志す者は彼の巡礼の旅の間、彼自身と残した家族 を十分養うだけの経済的余裕がなければならないのです。至高な る神は、聖クルアーンの中で次のように述べています: -そこには数々の明白なみしるしがある。(その内の一つが) アブラハムの立ち所(である)。そこ(マッカの聖域)に入 った者は安全なのだ。そしてそうすることが出来る人々には 、その館を訪問するアッラーへの義務がある。それを否定す る者があっても、実にアッラーは何ものをも必要とされては いないのだ。, (クルアーン3:96-97)

またイスラームにおける困難の緩和の別例として、ムスリムが 合法な食事の欠乏により瀕死の状態にあるような際には、血液や 神の御名が唱えられずに屠られた動物の肉など本来イスラーム法 で非合法とされる物でも摂取して構わない、というものがありま す。但しそのような時でも摂取するのは、命を繋ぎとめるのに必 要な量だけに留めておかなければなりません。この法規定は、次 の聖クルアーンの節で言及されています: -あなた方に禁じられたものは、(イスラーム法に則って屠殺 されなかった)死体、(流れる)血液、豚肉、アッラー以外 の名において屠られたものである。しかしやむを得ない状態 にある者は、(その摂取において)度を越さず、(それを口 にするのは、他に合法なものがない場合のみであるという) 法を超えない限りにおいて(それを口にしても)罪はない。 実にアッラーはお赦し深く、慈悲深いお方である。, ( クルア ーン2:173 )


預言者ムハンマドの権利

神は人類を正しく導くためにその使徒を遣わし、もし人類が彼 を信じて従い、彼に対する権利を全うするならば、現世における 成功と来世における報奨を与えることを約束しました。これらの 権利は前述の「ラー・イラーハ・イッラッラー(アッラーの他に 真に崇拝すべきものはなし)」という信仰証言に並列された「ム ハンマドゥン・アブドゥフ・ワ・ラスールフ(ムハンマドはその しもべであり使徒である)」という言葉の中に集約されています 。そしてこの証言は、以下のような事柄を義務付けます:

  • 預言者ムハンマドの命令を遵守し、神に対する不従順を回避す ることにおいて努力すること。至高なる神は、聖クルアーンの中 で次のように述べています: -…使徒が命じた物事を行い、彼の禁じた物事を避けよ。そし てアッラー(のお怒りや懲罰の原因となるような物事)に対 し、身を慎むのだ。実にアッラーは厳しく罰されるお方であ る。, (クルアーン59:7)
  •  可能な限り彼のスンナ(慣習)を踏襲すること。いかなる者 も神の使徒ムハンマドのスンナを改変したり、そこに付加したり 、あるいは削除したりする権威はありません。聖クルアーンには こうあります: -言え、「あなた方がアッラーのことを愛しているのなら、私 (ムハンマド)に従うのだ。そうすればアッラーはあなた方 を愛して下さり、あなた方の罪をお赦し下さるであろう。」 アッラーはお赦し深く、慈悲深いお方である。, (クルアーン 3:31)
  • ムスリムは神が使徒ムハンマドに授けた特別な位階と威信を称 えなければなりません。そしていかなる者もその品格を下げるよ うなことをしてはいけませんが、同時に過度の讃美も禁じられて います。預言者ムハンマドは自らこう言いました: 「キリスト教徒がマリヤの子(イエス)に対してしたように 、私を度を越して称えるのではない。私は一人のしもべに過 ぎないのだ。ゆえにこう私を呼ぶがよい:“アッラーのしも べ、かれの使徒”と。」 ( アル=ブハーリーによる伝承:2330.)
    また彼はこうも言っています: 「人々よ!あなた方が言うべきことを言い、悪魔の誘惑に乗 るのではない。私はアッラーのしもべであり使徒である、ム ハンマドなのだ。私はあなた方が、私を全能のアッラーが私 に割り与えられた以上の地位にまで高めることを好まない 。」 アン=ナサーイーによる伝承。良好な伝承と言われています。
    また使徒ムハンマドは、このようにも言ったそうです: 「私をそれに値する以上にまで称えるのではない。アッラー は私が預言者とか使徒とお呼びになる前に、私を一人のしも べとして創られたのだ。」 ( アッ=タバラーニーによる伝承。)
  • ムスリムは使徒ムハンマドが下したいかなる裁断にも満足し、 それを受け入れなければなりません。至高なる神は、聖クルアー ンの中で次のように述べています: -いや、あなたの主にかけて。彼らは彼らの間の諍いごとに関 してあなたにその裁決を仰ぎ、それからあなたが裁いたことに ついて自分自身の中に少しの疑念も抱かず、(それを)完全に 受け入れるまでは、(真に)信仰したことにはならないのであ る。, (クルアーン4:65)
  • 神の使徒ムハンマドが普遍的メッセージを携えて、全人類に遣 わされたということを信仰すること。イスラームは使徒ムハンマ ド以前の使徒や預言者たちの宗教がそうであったように、特定の 人々に向けてのみ遣わされたわけではありません。聖クルアーン にはこうあります: -言え(ムハンマドよ)、「人々よ、実に私こそはあなた方全 てに対して(遣わされた)、天地の主権をお持ちであるアッ ラーの使徒である。全てに生を授けられ、死を授けられるか れ(アッラーのこと)以外に、真に崇拝すべきものはない。 ゆえにアッラーと、アッラーとその御言葉を信じる文盲の預 言者であるかれの使徒を信じるのだ。彼に従え。そうすれば あなた方は導かれるであろう。」, (クルアーン7:158)
  • 神の使徒ムハンマドが神のメッセージを人類に伝達することに おいて、誤りを犯すことから守られていたことを信じること。ま た彼が神のメッセージに勝手に何かを付け加えたり、あるいは削 除したりすることがなかったことを信じること。聖クルアーンに はこうあります: -そして彼は私欲から(物事を)話しているわけでもない。, ( クルアーン53:3)
  • 預言者ムハンマドが神から人類に遣わされた最後の預言者であ り、その後にはいかなる使徒や預言者も到来しないことへの信仰 。全能なる神は、聖クルアーンの中で次のように述べています: -ムハンマドは(彼が授かった本当の彼の子でもない)あなた 方の内の誰の父親でもない。しかしアッラーの使徒であり、 最後の預言者なのだ。, (クルアーン33:40)
    また使徒ムハンマド自身、こう言っています: 「…そして私の後に、使徒はないのだ。」 ( アル=ブハーリー:4416と、ムスリムによる伝承:2404.)
  • 神が人類に対して課した宗教的義務や命令は全て正しいもので あり、預言者ムハンマドが神のメッセージを完全な形で伝達した ことを信じること。また彼がイスラーム共同体に最善の忠告をし 、善を行い悪を避けるための最高の指針を残したことを信じるこ と。聖クルアーンにはこうあります: -この日、不信仰者たちはあなた方の宗教(を頓挫させること )に絶望した。ゆえに彼らのことなど畏れず、われ(アッラ ー)のことを畏れるのだ。この日われはあなた方に対し、あ なた方の宗教を完成させた。そしてあなた方への恩恵を全う し、イスラームがあなた方の宗教であることに満足した。, ( クルアーン5:3)
  • イスラームにおいて定められた法は神によって承認されたもの であり、様々な種類の全ての崇拝行為はこの神聖な法に基づいて いることを信じること。また人間が独自に編み出した行動は、こ れらの神聖な法と合致しない限り受け入れられないこと。聖クル アーンにはこうあります: -そしてイスラーム以外のものを宗教として望む者は、決して それを受け入れられない。そして彼は来世においては損失者 の類いなのである。, (クルアーン3:85)
  • ムスリムは預言者ムハンマドの名が言及された時、彼に対する 敬意の印として適切な挨拶をしなければなりません。この教えは 、聖クルアーンの中に見出せます: -実にアッラーとその天使たちは、預言者を祝福する。信仰者 たちよ、彼に祝福と平安を乞うのだ。, (クルアーン33:56)
  • 信仰者は他の何者よりも、預言者ムハンマドに対して真の愛情 を向けます。というのも彼がもたらした神の真実の宗教に関して の情報や実践こそは、唯一の救済の手段であるからです。全能な る神は、聖クルアーンの中で次のように述べています: -言え、「あなた方の父親や子息、兄弟姉妹や配偶者、近親や あなた方の稼いだ財産、またあなた方が不景気になることを 恐れている商売や、あなた方の意に適った住まいがアッラー とその使徒、そしてその道における奮闘よりもあなた方にと って愛すべきものであるのならば、アッラーが事を決行され るまで待つがよい。アッラーは放縦な民をお導きにはなられ ないのだ。」, (クルアーン9:24)
  • ムスリムは人々に彼のメッセージを伝達することにおいて、英 知と忍耐をもって出来る限りの努力を払い、可能な限りの機会を 利用する必要があります。また宗教を誤って理解している者やお ろそかにしている者への啓発や、信仰心の弱い者の信仰を強化す ることにおいて奮闘しなければなりません。聖クルアーンにはこ うあります: -英知とよき訓戒をもって、あなたの主の道へといざなえ。そ してよき手法を用いて彼らと議論するのだ。実にあなたの主 はその道を迷い外れた者のことも、よく導かれた者のことも よくご存知である。, (クルアーン16:125)
    また使徒ムハンマドはこう言っています: 「一つきりのアーヤ(クルアーンの一節)でもよいから、私 から伝達せよ。」 ( アル=ブハーリー:3461と、アッ=ティルミズィーによる伝承:2669.)

  • その他の使徒と預言者の権利
  • 両親の権利
  • 夫の妻に対する権利
  • 妻の夫に対する権利
  • 子供の権利
  • 親戚の権利
  • その他の使徒と預言者の権利

    イスラームの信仰は預言者ムハンマド以前の全使徒・全預言者 の真実性を宣言するまで、完全なものとはなりません。但し過去 の全ての使徒・預言者は特定の時期に特定の人々に遣わされまし たが、イスラームのメッセージは世界の最後が訪れるその時まで 、あらゆる場所と時代において普遍的であり続けるのです。聖ク ルアーンにはこうあります: -使徒は、彼の主から彼に下されたものを信仰する。そして信 仰者たちも(またそうする)。(彼らは)皆、アッラーとそ の諸天使、そしてその諸啓典とその諸使徒を信仰する。(彼 らは言う:)「私たちは使徒らのいかなる者も、差別しない 。」そして彼らは言った:「私たちは(あなたのご命令を) 聞き、従いました。私たちの主よ、あなたからのお赦しを( 乞います)。そして全てのものの還り行く先は、あなたの御 許です。」, (クルアーン2:285)

    またムスリムはイスラームのメッセージを人々に伝達する義務 がありますが、その受容を強制することは出来ません。至高なる 神は、聖クルアーンの中で次のように述べています: -宗教に強制はない。, (クルアーン2:256)

  • 両親の権利

    両親の権利には、彼らに対する敬意や愛情、従順さなどが含ま れます。子供は神とその使徒の命に反することではない範囲にお いて、その両親に従う義務があります。そして両親にはよく気配 りし、親切に接すると同時に、彼らの物質的満足も満たさなけれ ばなりません。また彼らに対する忍耐心と尊敬も同様に子供の義 務であり、いかなる粗暴な振る舞いや無礼も禁じられます。そし て子供はいかなる状況にあろうと、彼らへの奉仕において辛抱強 くなければなりません。聖クルアーンにはこうあります: -そしてあなたの主は、あなた方がかれ以外の何ものも崇拝せ ず、両親に孝行することを命じられた。彼らの内片方、ある いは二人とも高齢に達したら、うんざりしたり乱暴に応対し たりしてはならない。しかし彼らにいたわりの言葉をかけて やるのだ…, (クルアーン17:23)
    また神の使徒ムハンマドは、私たちにこう教示します: 「ある者に対するアッラーのご満悦は、その両親の彼に対す る満足によっている。またアッラーのお怒りもまた、彼の両 親の不満足によっている。」 ( アッ=ティルミズィーによる伝承:1962.)

    そしてこの権利は両親が子供に神への不服従を命じるのではな い限り、例え両親が彼らとは違う宗教に属していたとしても遵守 しなければなりません。初代カリフであったアブー・バクルの娘 アスマーゥは、こう言いました:「まだムスリムではなかった私 の母親が、私のもとを訪れました。それで私はアッラーの使徒( 彼にアッラーからの平安と祝福あれ)に、彼女とどう接するべき か相談しました。私は言いました: “私の母親が私の孝行を求め てやって来たのですが、私は彼女によくしてやるべきでしょうか ?”すると彼はこう言いました: “ああ。お母さんに良くしてや りなさい。”」 ( ムスリムによる伝承:1003.)

    尚母親は、子供からの親切と同情心、愛情や親しみの念におい て、父親よりも優先されます。ある時、一人の男が預言者ムハン マドのもとにやって来てこう言ったことがありました:「アッラ ーの使徒よ、私が最も良い関係を保つべき人は誰でしょうか ?」(預言者は)言いました:「母親だ。」(男は)言いました :「その次は?」(預言者は)言いました:「母親だ。」(男は )言いました:「その次は?」(預言者は)言いました:「母親 だ。」(男は)言いました:「その次は?」 (預言者は)言いま した:「父親だ。」また別の伝承では、彼は最後にこう言います: 「父親だ。それから、より近親の者だ。」 ( アル=ブハーリー:2227と、ムスリムによる伝承:2584.) 

    こうして使徒ムハンマドは、母親に父親の三倍の権利を認めて います。これは母親が胎児を宿している際も出産の折も、また出 産後の養育に関しても父親にはない苦労を担っているためです。 クルアーンは母親を、このように描写しています: -そしてわれら(アッラーのこと)は人間に、両親に善行を尽 くすよう命じた。母親は彼(女)を辛苦をもって身ごもり、 また辛苦をもって産み落としたのだ。, (クルアーン46:15)

    もちろん、このことが父親の権利をないがしろにするわけでは ありません。預言者ムハンマドはこう言っています: 「誰も、父親に対する恩返しなどまっとうは出来ない。彼( 父親)が奴隷にされたのを見つけ、彼を買い戻して解放する 位のことをしなければ。」 ムスリムによる伝承:1510.

  • 夫の妻に対する権利

    夫はその家族の維持に関する全ての側面において責任を持つた め、家の諸事において最高の権利を有します。彼の統率は公正と 忍耐、英知によるものでなければなりません。聖クルアーンには こうあります: -夫は妻の監督にあたる。アッラーは彼を彼女より上に位置づ けられ、また彼は彼女のために自らの財から拠出するのであ るから。, (クルアーン4:34)

    この「責任」という位置づけの一つの理由は、一般的に男性が 女性よりも肉体的に強く、またより理性的であるためでしょう。 一方女性は一般的に言って男性より肉体的に弱く、またより感情 的と見られます。これらは創造主が彼らの人生と家族生活におい て、それぞれ補足的な役割を担うために授けられた特徴なのです 。妻は神とその使徒の命に反することでない限り、その夫の指導 に従うことが求められます。預言者ムハンマドの妻アーイシャは 、彼にこう尋ねました: 「女性に対して最大の権利を有している者は誰ですか?」彼 は答えました:「その夫だ。」また彼女は、こうも尋ねまし た:「男性に対して最大の権利を有しているのは?」彼は答 えました:「その母親である。」 ( アル=ハーキムによる伝承:7244.) 

    妻は夫に、彼が能力的及び物質的に実現することが出来ないよ うな要求をするべきではありません。むしろ彼女は夫を満足させ 、その願望を叶える努力をするべきです。また妻は自らを守り、 貞淑であることによって、夫の子供と子孫を守らなくてはなりま せん。また妻は夫の財産を守る信頼高い管理人となるべきであり 、また夫の同意や彼に前もって伝えることもなく外出すべきでは ありません。また彼が好まないような者を、勝手に家に入れたり してもなりません。これらはひとえに家庭の調和と尊厳を守るた めなのです。預言者ムハンマドはこう言いました: 「最善の女性とは、目をやればあなたを満足させ、何かを頼 めばあなたに従い、あなたが留守の時にはあなたの財と血統 を守ってくれるような者である。」  イブン・マージャによる伝承:1862.
  • 妻の夫に対する権利

    夫に対する妻の権利は沢山ありますが、以下のようにまとめら れるでしょう:

    マハル(婚姻の際の贈与財):女性は、その夫となる男性から マハルを受領する権利があります。そもそもマハルなしには婚姻 の契約は成り立ちません。マハルは免除したりすることは出来ま せんが、もし女性がそう望むならば彼女は婚姻契約の完了後、彼 女の権利において譲歩することが出来ます。聖クルアーンにはこ うあります: -そして女性たちにマハル(婚姻の際の贈与財)を、定められ たものとして贈るのだ。そしてもし彼女らが自ら進んでそれ を譲るというのなら、それを有難くよい形で頂くのだ。, (ク ルアーン4:4)

    妻子の扶養:夫は彼らに適切な住居や生活必需品‐飲食物や衣 服など‐を供給する他、その能力が許す範囲において生活費を拠 出する義務があります。聖クルアーンにはこうあります: -裕福な者はその裕福なものの内から拠出させ、そして(経済 的に)恵まれない者はアッラーが彼にお恵み下さったものの 内から拠出させるのだ。アッラーは人に、かれが授けられた 以上のものを課されることはない。アッラーは困難の後には 楽を授けて下さるだろう。, (クルアーン65:7)

    イスラームは家族への気前のよさを励行するという意味で、扶 養行為を来世において多大な報奨を受ける慈善行為という位置づ けをしています。預言者ムハンマドは、彼の教友の一人であるサ アド・ブン・アビー・ワッカースにこう言いました: 「アッラーからの報奨を求めてあなたの家族に費やすもので 、あなたがその報いを受け取らないものはない。それが例え 妻の口元に運ぶ一匙(の飲食物)であっても、である。」 アル=ブハーリーによる伝承:3721.

    また適切な扶養義務を果たさない夫を持つ妻は、彼の許可なく その財産を利用する権利を有します。但しその場合、彼女は自分 自身と子供に十分な額のみを取るだけに留めなければなりません 。ヒンド・ビント・ウトゥバという女性はある時、使徒ムハンマ ドにこう言いました:「アッラーの使徒よ、(私の夫)アブー・ スフヤーンは吝嗇家で、私と私の子供に十分なものを施してはく れません。私は彼の知らないように彼(の財)から取らずにはい られないのです。」すると彼は言いました: 「あなたとあなたの息子に足りるだけのものを取りなさい 。」  アル=ブハーリーによる伝承:5049.

    妻を労り、彼女と特別によい関係を保つこと:これは、イスラ ームが夫に命じている最も重要な事柄の内の一つです。夫は妻と のよい付き合いと共に過ごす時間において、彼女の満足度を一定 のレベルにまで満たさなければなりません。また妻を含む家族全 体に対し、十分な扶養を求められます。また夫は、基本的な妻の 願望を叶えることの出来る愛情深い存在であるべきです。教友ジ ャービルによれば、預言者ムハンマドは彼にこう言いました:「 ジャービルよ、結婚したか?」ジャービルは言いました:「ええ 。」彼は言いました:「(彼女は)初婚か、それとも既婚者か ?」ジャービルは言いました:「既婚者です。」彼は言いました: :「どうして一緒に遊んだり、笑い合ったり出来る若い乙女と結 婚しなかったのか?」 アル=ブハーリーによる伝承:6024.

    妻の全ての秘密を守ること:夫は彼女との私的関係を内密なも のとし、彼女の秘密や欠点、その他彼女が他人には知られたくな いような事実を暴露してはなりません。またイスラームにおいて 夫婦間の懇意な関係は重要視され、かつ保護されるべきものであ り、夫婦関係は神聖なものと見なされています。神の使徒ムハン マドはこう言っています: 「審判の日にアッラーの御許で最悪な位階にある者とは、妻 と性的関係を持った後に、彼女の秘密を暴露する者である 。」 ムスリムによる伝承:1437.

    公正と平等:もし男性に複数の妻がある場合、彼は彼女たちと 平等によい形で接しなければなりません。また飲食物や衣服、住 居や共に過ごす時間においても、平等に扱う必要があります。こ れらの点における不平等は、非常に厳しく禁じられています。預 言者ムハンマドは言いました: 「二人の妻を有する者でその一方のみを贔屓する者は、審判 の日にその体の半分が傾いた状態で現れるであろう。」  アン=ナサーイーによる伝承:7:63.

    妻子に優しく親切にすること:夫は、妻を含む家族全員を懇ろ に扱わなければなりません。彼は現世と来世における神のご満悦 を望みつつ、妻の欠点や短所に辛抱して、親切さと十分な配慮を 示しながら力の限りを尽くして諸々の問題を解決していくべきで す。また彼は彼らの日常的諸事や将来の必要や計画において彼女 に相談し、家の内外において彼女と家族とを幸せにするための平 和に満ちた環境を作るあらゆる手段を模索する必要があります。 預言者ムハンマドはこう言いました: 「最も完成された信仰者とは、最も人格の優れた者である。 そしてあなた方の内で最善の者とは、あなた方の妻に対して 最善の者である。」  アッ=ティルミズィーによる伝承:1162.

    妻子の保護:夫は可能な限り、妻や家族を邪悪で不道徳な場所へ 連れて行ったり、あるいはそのような状況に遭わせたりしてはな りません。聖クルアーンにはこうあるのです: -信仰する者たちよ、あなた方自身とあなた方の家族を地獄の 業火(へと招くような事柄)から守るのだ。その燃料は人間 と石であり、その上には厳しく荒々しい天使たちがいる。彼 らはアッラーが命じられたことに逆らうこともなく、そのご 命令を遂行するだけなのである。, (クルアーン66:6)

    また夫は妻の個人的財産や所有物を保護する義務があり、彼女 の許可なしに、その財産や所有物に手を付けたりしてはなりませ ん。また彼女の同意なく、その財産を管理処分したりしてもいけ ません。

  • 子供の権利

    子供の権利は数多く存在しますが、まずその一つとしてよい名 前を選んで付けられる、ということがあります。預言者ムハンマ ドはこう言いました: 「あなた方は審判の日に、あなた方の名とあなた方の父親の 名で呼ばれるのだ。ゆえに良い名前をつけるがよい。」  アブー・ダーウードによる伝承:4948.

    また子供は、合法的な食事や適切な住居、よい教育や適当な養 育などの必要を満たされる権利を有します。預言者ムハンマドは 言いました: 「自らが扶養すべき者に対して怠慢である者は、十分に罪深 い者である。」  アブー・ダーウードによる伝承:1692.

    また子供は良い作法でもって教育され、同時に嘘や詐欺、欺瞞 や自己中心性などの悪い習慣から守られる必要があります。預言 者ムハンマドはこう言いました: 「あなた方は皆後見人である。そしてあなた方は皆、その後 見下にある者たちに対して責任があるのだ。」 64 アル=ブハーリー:853と、ムスリムによる伝承:1829.

    また子供たちは平等かつ公正に扱われる権利があります。親は 分配や接し方、プレゼントや主張の受け入れ、遺産相続などにお いて、彼らの内の特定の者だけを贔屓したりしてはなりません。 このような子供間の不平等な扱い方は、両親や他の兄弟に対する

    子供の悪態などにつながる結果ともなり得るでしょう。教友アン =ヌゥマーン・ブン・バシールは、こう伝えています:「私の父 は、私に彼の財産の一部を施しとして贈与しました。しかし私の 母アムラ・ビント・ラウワーハはこう言いました:“私はアッラ ーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)がその(行為に ついての)証人となるまで、それに同意しません。”それで父は 彼が私に贈与した物に関して証人になってもらうため、アッラー の使徒(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)のもとに赴き、彼 に贈与の証人になってくれるよう頼みました。するとアッラーの 使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)は、こう言いました :“あなたは、あなたの子供全員に(彼に与えた物と)同様の物を 与えたのか?”父は言いました:“いいえ。”するとアッラーの 使徒(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)は言いました:“ア ッラーを畏れよ。そしてあなたの子供たちに対して公正であれ 。”それから父は戻ると、その施しを撤回しました。」  ムスリムによる伝承:1623.

  • 親戚の権利

    親戚は訪問や援助など、特別な配慮を受ける特有の権利を有し ています。また経済的に余裕のある者はその親戚を援助する義務 がありますが、その際にはより近親の者を、次いでより近しい関 係にある者を優先するようにします。またムスリムは兄弟や親戚 が何らかの困った状態にある時には援助し、彼らに起こった様々 な出来事において気持ちを分かち合います。聖クルアーンにはこ うあります: -人々よ、あなた方を一つの魂(アダム)から創られ、次いで それからその妻を創られ、そしてその二人から多くの男女を 創り広げられたアッラー(のお怒りと懲罰を招くような事柄 )から身を慎むのだ。そしてあなた方がかれにおいて同情し 合うところのお方と、親戚の絆の断絶に対して身を慎め。ア ッラーは実に、あなた方の一部始終を見守られるお方である 。, (クルアーン4:1)

    またイスラームは、例えその者が自分に対して親切ではない者 であったとしても、近親に対しては親切に接することを命じてい ます。また彼らから関係を断絶されたとしても、関係の継続を呼 びかけることを勧めています。神が聖クルアーンでこう仰ってい るように、家族や親戚との関係を断絶することはイスラームにお ける大罪です: -それではあなた方は(イスラームへのいざないから)踵を返 して、地上に腐敗を広め、近親の絆を絶つことを望んでいる のか?そのような者たちこそはアッラーが呪われ、その聴覚 と視覚とを封じられた者たちである。, (クルアーン 47:22-23)